生誕140年を迎えた大正ロマンの芸術家・
竹久夢二のレトロモダンなアートの世界
貴重な肉筆画をはじめ、夢二式美人の木版画を中心に人気の夢二グッズを展示販売します
日時: 11月22日(金)〜12月1日(日)
会場: ゆめタウン佐賀 1階ウエストコート
佐賀市兵庫北5丁目14 -1 / 0952-33-3100
主催:株式会社Gatou
(問い合わせ:090-9070-7156 白石)
生誕140年 時代を超えて愛される竹久夢二の世界
夢二の描く女性は、やや上目使いのつぶらな瞳、華奢(きゃしゃ)で儚(はかな)げな姿で「夢二式美人」と呼ばれて人気を博し、現在でも多くのファンを魅了します。夢二・生誕140年にあたる年の開催となる本展では、貴重な肉筆画をはじめ木版画の初版、復刻木版画など約40点を展示、時代を超えて愛される夢二の芸術世界をご紹介します。
竹久夢二(たけひさ ゆめじ)1884年 - 1934年
大正時代を代表する画家で、詩人・デザイナーとしても活躍。細身で哀愁漂う「夢二式美人」は多くの人々に愛され、彼の作品は大正ロマンの象徴として知られています。
デビューした頃の竹久夢二
竹久夢二 年表
1884年(明治17年)岡山県邑久郡本庄村に生まれる。家業は造り酒屋。
1905年(明治38年)東京に出て美術を学び、「夢二」の名前で活動を始める。
1909年(明治42年)最初の著作『夢二画集 春の巻』を刊行。大正ロマンの画家として注目を集める。
1914年(大正3年)日本橋に「港屋絵草紙店」を開店。独自のデザインで人気を博す。
1916年(大正5年)「セノオ楽譜」の表紙絵を手掛け始め、多くの楽譜装丁を担当。
1918年(大正7年)詩「宵待草」が発表され、全国に広まる。
1919年(大正8年)代表作「黒船屋」を発表。銀座に「黒船屋」という喫茶店も開店し、多くのファンに愛される。
1924年(大正13年)雑誌『婦人グラフ』の表紙を手掛け、人気が高まる。
1931年(昭和6年)渡米し、サンフランシスコやニューヨークなどで活動。その後ヨーロッパ各地を訪れる。
1934年(昭和9年)病気により49歳で逝去。「ありがとう」を最後の言葉に残す。
大正8年「黒船屋」
大正の歌麿と呼ばれた「夢二式美人」の代表作
夢二が駆け抜けた時代
「大正ロマン」
大正時代は日清・日露と長く続いた戦争も終わり、自由で華やいだ空気に満ち溢れた時代でした。
西洋の文化や芸術も多く取り入れられるようになり、街では現代風の青年(モボ)や若い女性(モガ)が日々流行を追い求めていました。古い伝統と新しいもの、日本的なものと西洋的なもの、先取りの気質のものと退廃を好むもの、あらゆる物の狭間となって大正時代には華やかな文化「大正ロマン」が華咲くこととなるのです。そういった時代にあって、夢二は西洋の最先端のスタイルと、日本古来の抒情性を強く掛け合わせた作品を次々と発表し、一躍時代の寵児となりました。
大正13年〜 雑誌「婦人グラフ」の表紙絵
デザイナーの先駆け・竹久夢二
夢二の創作活動は幅広く、図案、雑誌や楽譜の表紙絵など多岐にわたっています。現在のイラストレーター、グラフィックデザイナーの先駆的な役割を果たし、夢二の芸術は大衆文化に広く浸透しました。
夢二と音楽・・・セノオ楽譜
夢二のグラフィックデザイナーとしての才能を示す特筆すべき仕事として「セノオ楽譜」の装画がある。「セノオ楽譜」は、妹尾幸陽が日本や外国の数々の名歌と名曲を紹介するために出版していた楽譜集で総数は千曲以上にも及んでいる。その内、夢二は270余点の表紙絵を手がけており、グラフィックデザイナーとしての、才気あふれる手法と、多彩な意匠が駆使されている。題名のレタリングもそれぞれ感覚的で創意工夫に満ちており、斬新でモダンな感覚のデザインは現代もなお多くの人を魅了し続けている。
またセノオ楽譜には、夢二自身の作詞によるものが24曲含まれており、なかでも有名なのが大正7年に発表された「待宵草」(宵待草)である。
特別企画:
竹久夢二の音語りコンサート 〜二胡の調べとともに〜
竹久夢二展の開催に合わせて、特別なミニコンサートを開催いたします。
二胡の柔らかな音色とともに、夢二が描く大正ロマンの世界に浸るひとときをお楽しみください。
【コンサート詳細】
竹久夢二の音語り 〜宵待草〜
日時:令和6年11月30日(土)
第1回公演:14:00〜14:30 第2回公演:16:00〜16:30
【演奏】王克強 Oh Katsukyou
中国大連市生まれ
福岡県太宰府市在住,11歳から二胡を学び、来日するまで様々な演奏活動を行う。
中国音楽家協会二胡学会会員
日中友好協会会員
太宰府市国際交流協会会員
筑紫野市文化協会会員
筑紫野市文化学芸連盟会員
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